魯山人の「身の周りの全てから学ぶ」という教え
公開日:
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最終更新日:2014/09/15
日記
こんばんは。
料理は季節感が重要だというのに、もはやこのブログの「日記」も「食道楽」も書く内容が古過ぎて、全く教えを体現できていない西岡 瞭です。
あれこれやりたいことはたくさんあるけれど、今は焦らず一つ一つしていこうと思います。
さて、6月29日まで京都現代美術館で行われていた「北大路魯山人展」に、僕も行っていた。
魯山人のことはほとんど知らなかったけれども、なんとなくあこがれの存在だった。
料理に詳しい(詳しくは知らないけれど、料理人!?美食家!?)上に、陶芸、絵、書など色んなことに精通。
将来は陶芸なんかもしたい、自分の作った器でもてなしたいとか考えていたからかも。
魯山人の器は何度か写真などでも目にしたことがあったけれど、彼の書を見たのは初めてだった。
綺麗な字という訳ではないけれど、なんとも味がある。
魯山人曰く、「人物の値打ちだけしか字は書けない。字というのは、人物価値以上には光らない」なのだそうだ。
何と深い言葉だろう…
美術館では、魯山人の名言を始め、数々の洗練された言葉に触れた。
そのうち、僕が一番気に入った言葉を紹介したいと思う。
「坐辺師友」
自分の身辺にあるものこそが、おのれの師であり友である。
魯山人自身、自らの眼を鍛えるために、優れた美術品を常に身辺に置いていたそうだ。
つまりは、身の回りの環境によって人はつくられるということ。
まだまだ気が早いけれども、ふと「将来はこんな人を相棒にしたいな、一緒に仕事をしたいな」なんて考えることがある。
どんな人を周りに置いて、どんな環境を作るか、それも重要なこと(この話は長くなるので、またの機会にして)。
利休七則でも「花は野にあるように」とあるけれど、料理も盛りつけに”自然”を取り込むことが基本。
自然そのものが、お手本になる。
身の周りにお手本はたくさんある。
「あっ、これいいな」と思うことは自分に取り入れる。
逆にこれは嫌だなと思うことは、反面教師から学ぶ。自分はそれをしないようにする。
心の持ちよう一つで、ぐっと成長できる気がした。
以前書いた、「「布施の心」でより良く生きる」とか「「目の付けどころをシャープに」という話。」の内容に通じるところがあるから、心に残ったのかな。
重ねて、本当に「観る」ということは重要だなと思ったのでした。
瞭
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Comment
魯山人、とても素敵な人ですよね。こうなりたいと思える人の一人です。
本物を伝えられる人になることが私の人生においての目標なのですが、本物とそうじゃないものって私はまだまだ見分けがつかないです。でも本物って無条件で感動するものだと思います。海の側で売られていたわかめを食べたとき、抹茶を初めて飲んだとき、素晴らしい作品に出逢ったとき、ぶわああというような共通した感覚が確かにあります。
感動するものを自分のそばに置いておく、感動する人と話したり仕事をすることはすごく大切なことだと思います。
これからも、修行頑張ってください!