ひょんなことから、「伝統」について考えてみた。
公開日:
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最終更新日:2014/09/15
日記
こんばんは、ご無沙汰しております。
今日、山椒の実を掃除していたら、体がぽかぽかしてきて一人で「暑い、暑い」と言っていた西岡 瞭です(笑)
それにしても、何だったんだろう。
香りのせいかな、それとも手から山椒の成分が体に入ってきていたのかな…
さて昨日の朝、一人で早めにお店に行って掃除を済ませた後、ある展示会に行ってきた。
26日(月)まで、京都の高島屋で行われていた「第43回 日本伝統工芸近畿展」。
この前食事に行った店で、お造りが何とも涼しげなガラスの器で出てきて、素敵だな…と思っていたら、その作家さんが隣に座っておられた!(なんて偶然)
招待券を頂いたので、折角の機会だから行ってみようと思って。
陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形などなどが展示されていた。
「ああ、こんな着物着てみたいな」とか、「こんな器に料理を盛ってみたいな」とか、「この人形の顔が、何とも言えず味があって素敵だな」とか。
色んな刺激をもらった。
これ、買いたいなと思うものも(笑)
50点程の展示された茶碗から、自分のお気に入りのものを選んで、それでお抹茶が頂けるというサービスもあった!
何とも素敵。
招待券の裏に印刷されていた、開催の趣旨説明の冒頭の言葉が印象に残った。
「伝統はつねに現在する」
始めは意味が分からなかったけど、色んなことを考えさせられた。
伝統と言えば、どこか古めかしい感じがする。
でも、今も残っているものが伝統。
既に消え去ってしまったものは、ほとんどの人の記憶には残っておらず、ただの過去の産物。
伝統を過去の産物にしないために、それに携わる方々は試行錯誤している。
でも、それってどうなんだろう。
何とか頑張って残そうとしているものは、ただの遺産でしかないのかもしれない。
伝統は、残していくものではなくて、残っていくもの。
逆に言うと、洗練されつくしたがゆえに、長い間変わらず残ってきて、これからも残っていくものとでも言えるだろうか。
この話は、正直自分の中でも整理が出来ていないし、ただの言葉遊びでしかないかもしれない。
でも一つ言えることは、伝統も残していくためというよりかは、これからも残っていくために、それを伝える人・その努力は必要なのではないか。
僕が携わるものが伝統的なものであるのだとすれば、僕はそれを伝える人になりたいと思う。
瞭
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